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~健康人事委員会便り 第22号~

2016年3月2日 水曜日

前号から引き続き「日本の永寿企業」をテーマにします。

 

なぜ、日本に歴史の長いいわゆる「老舗」企業が多いのかという問題は、なかなか難しいテーマですが、あえて言えば、ひとつは自然が豊かな国だから、ということにあるでしょうか。

 

青森県にある三内丸山遺跡からもわかる通り、縄文時代の昔から、森林や海、川などの自然は多種多様な食材や生活用品の材料を日本にもたらしてきました。それらを素材に、加工・販売する営みが早くから盛んになり、明治時代以降、昨年9月に始まったNHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公たちが奮闘するような、家業から会社組織に衣替えして現在に至っている企業が少なくないようです。

 

200年以上継続している企業の業種別内訳をみると、そのことは裏付けられていると思います。また、酒造業が発展した背景には、水がきれいな国であるという点も大きく影響しているのでしょう。

 

ただし、いくら好条件に恵まれているとしても何百年もの歳月を生き抜いてくることができたのは、革新性があればこそだと考えています。

 

ファミリービジネス白書によると、200年以上の約3110社のうち2割にあたる約620社の企業は、現在の業種と創業当時の事業が異なっていると報告されています。また、創業100年以上の100社の企業を対象にした研究では、約3割が本業以外の「非連続イノベーション」分野に進出していたそうです。

 

祖先が興した事業や築いた人脈を受け継ぐだけでなく、時代の変化を先取りして自社事業の内容を変える「変化対応力」を備えていることがわかります。まさに前述の「あさが来た」で登場の加野炭鉱・加野銀行ですね。

 

それでは、ここからは、MRの皆さんにかかわりの深い題材です。

過去、日本経済新聞の連載で取り上げられたことのある老舗企業「北垣薬品」をご紹介します。

 

タイトルは “「小」へのこだわりを糧に” です。

 

******************************

 

「デンポ(おでき)と問屋は大きくなったらつぶれる」。大阪・道修町の動物医薬専門問屋、北垣薬品(大阪市中央区)の7代目、北垣浩二社長が先代の故・清蔵氏から何度も聞かされた言葉だ。いくら売上を伸ばしてもほめられたことはなく、決まって「回収は大丈夫か」と聞かれた。1763年の創業以来。長らく現金取引を守り、初めて手形を切ったのは1975年のことだ。

 

初代は、現在の和歌山県橋本市の出身。紀州評定所が発行した鑑札に「大阪道修町三丁目 大和屋清兵衛」の名が残るが、商家に奉公し起業資金をためたという記録はない。「ある程度の資本があったらしく、商売で成功しようという気持ちも薄かったのでは」と浩二社長は推測する。

 

薬の町、道修町の歴史は古い。1658年で既に33の薬種問屋があり、幕府に提出したニセ薬取り締まりの覚書が残る。和漢薬を各地に卸す問屋の町だったが、明治以降に西洋薬輸入が始まる。北垣薬品も和漢薬から農薬や工業薬品に切り替え、後に動物薬も扱うようになった。

 

問屋から西洋薬製造に転じる会社も現れた。第一次大戦で薬品が高騰、急成長したが大半は戦争終結で過剰設備を抱えて姿を消す。もうけを鉱山開発につぎ込んで倒産した者も。北垣薬品はいずれとも無縁で生き残った。ステレオタイプの「がめつい大阪商人」とはまったく別の姿がある。

 

かつて薬種問屋は道修町旧1丁目から旧3丁目に居住する決まりがあったほどで、地元への思い入れは強い。先代の清蔵氏は80歳を過ぎても夜回りを続けた。使い込んで角のすり減った焦げ茶色の拍子木は今も澄んだ音で鳴る。おけがで社屋兼住宅は空襲や火災を免れ築180年を数える。4年前、原型を損なわぬように補強工事もした。

 

最大の危機はバブル経済による地下高騰。3.3平方メートルあたり3000万円を突破し、計算すると相続税が40億円に膨らんでとても払えない。銀行がビルや立体駐車場に建て替える話を持ってきた。だが借金をして建ててもテナントや客が確保できるかは不確実と考え、見送った。

 

幸いにもバブルがはじけて、地下は下がり続けた。相続税が支払える水準まで下落したのを見届けた清蔵氏は「もう死んでもええか」と言って98歳で亡くなったという。今や道修町で職住一体を続けているのは北垣薬品だけだ。

 

ただ郷愁だけでは会社は永続できない。転機は1962年だった。浩二社長は動物薬12社の社長とオランダを視察した。皆が牧場に向かうのを見て、「畜産用動物薬は競争が厳しくなる」と判断、単独行動をとる。現地の動物病院を何カ所も回り、ペット用動物薬で勝負する決意を固めた。

 

慎重な社風に似合わぬ大胆な転進だが、浩二社長は「大動物より小動物をとっただけ」と話す。「当時、大阪の動物病院は60ぐらい。小さい市場を選んだのもごく当然なこと」とも言う。折からのペットブームで成長が続いた。大阪府動物愛護畜産課によると、2009年時点で動物病院の届けは約800。廃業を差し引いてもこの1年で20ほど増えたという。商圏も大阪、兵庫、奈良に広がった。ペット用は「好不況に伴う変動が少ない」のも強みだ。

 

職住一体の北垣薬品では常に創業者以来の経営精神を意識せざるを得ず、ぶれがない。成長につながる「小」を選んだのは偶然ではなく、必然だった。

 

ちなみに、道修町の記録で創業が最も古いのは、小野薬品工業の1717年。2番目が武田薬品工業の1781年。田辺三菱製薬は母体のひとつ、田辺製薬の道修町進出が1791年。ただし、田辺製薬の始祖は1604年に朱印船貿易で医薬品輸入を始めた田辺屋又左衛門までさかのぼれる。

北垣薬品はこうした製薬大手と肩を並べている。

 

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